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赤坂MUGEN

今日は赤坂MUGENの話をしましょうね。

私の誕生日は12月30日。
そして20才になりたての元旦にMUGENに
GO GO GIRLとして入ったんです。
おめでたいでしょ(笑)
だから成人式も出なかった。。。
考えてみると不良?かな?

当時のMUGENはアメリカから来たバンドが何時も
プレイしてて、本物に毎日触れられた場所だったんですよ。
文化人達も多く遊びに来るような社交場でもありました。
印象に残るのは「川端康成」。
何時も一番後ろの席で音楽&踊りを楽しんでた。
そしてGO GO GIRLの「SUMIKO」の大ファンでもありました!
誰もが大人のステイタスの場所、赤坂MUGENに
憧れ&おしゃれをして行ってたんですよ。
凄かったよ?

私が歌を始めたのは、ここでTINA TURNERのショーを
観たのがきっかけなのです。
彼女は歌は勿論、踊りもかっこよくて、「踊りを辞めたらこれしかない!」
と思い始めたんです。
そう、この時は私、MUGENの中では一番踊りが上手かったんです!(笑)
極めたっていうか、次のステップを探してたんですね?、
それが歌だったの
blog7.jpg
TINA TURNER

MUGENでのエピソード書きますね。
1 BB KINGがプレイした時、
  私が花束嬢をしたんですよ。そしたら、
  BB KINGと書いたピックをくれました!ラッキー!
blog5.jpg
 BB KING

2 EDWIN STARRがプレイした時、
  ステージに行く為に螺旋階段を下りていかなくてはいけないんですが、
  靴のヒールが階段に引っ掛かり、ヒール片側が取れました!
  勿論ステージは片側無い靴でやり遂げました。さすがプロ!
blog8.jpg
EDWIN STARR


こんなミュージシャン達を毎日観ていたから、
私は今も歌い続けられるんだと思います。
ありがとう、赤坂MUGEN






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コメント

こんにちは、

赤坂MUGENって一度も行ったことが無かったんだけど、今思えば本当に一度行ってみたかったなって思う。

高校卒業して上京、専門学校に通いながら修業先に入店していたから、最初の1年間はほとんど休みなし。

その上、おのぼりさんだったから、
初めて「ルイード」でmimiチャンのライブ観たとき
「スゲーっ、テレビに出ている人が目の前で歌ってる~!!」って感じだった。

赤坂MUGENの存在も、確かmimiチャンのライブでのお話の中に出てきて、初めて知ったこと。

あの頃、子供だったんだなってつくづく思います。

でも、そんなmimiチャンと、こんな形でコミュニケーションとれるなんて、嘘みたいv-237

**************

Takayuki

忙しい日々だったんですね~。
その甲斐あって今の地位を獲得!って事ですね。

本当に赤坂MUGENは良かったですよ。
いわゆる今で言うブランドだったから
MUGENと言う名前を騙ったお店が日本各地に何件あったことか(笑)

何かの縁で知り合いになれたのだから
これからも宜しくね★

コメントありがとう!
               mimi♪

***************

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プロフィール

big soul sista' MIMI

Author:big soul sista' MIMI
本名、宮本典子。
パフォーマーとしての本格的なデビューは赤坂にあった伝説のディスコ、「MUGEN」でのこと。
ただし、シンガーとしてではなく。当時は「ゴー・ゴー・ガール」と呼ばれたダンサーとして、である。
mimiはMUGENでのティナ タナーのステージに魅了されシンガーになる。数年後、日本人だけのソウル グループ「スリー チアーズ」を結成、
ヴォーカルにグッチ祐三、ドラムにはウガンダ、7ピースによるバンドは、MUGEN、米軍キャンプ、ディスコを中心に活動する。
その後、ジャズ・フュージョン・シンガーとしてジャズシーンにデビュー。鈴木勲とのコラボレートのアルバムも製作した。
後、スタジオワークを経て、歌謡界にデビュー、「エピローグ」、「ラスト・トレイン」をヒットさせるが
3年後、芸能界を辞め、ライブ中心の音楽活動に切り替えた。

90年、渡米を決意。 自分の歌を、パフォーマーとしての絶対的な力量で評価されるアメリカで試そうとしたからだ。
知り合ったグロリア・ジョーンズの元を訪れ、西海岸を活動の拠点としてキャリアを一から積み直し始める。
91年にミシシッピ・マスクワイアのソリストとして活動。
その後、リユニオンをプランしていたラリー・グラハム(元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストでチョッパー・ベースのパイオニア)、
ジョージ ジョンソン(ブラザース ジョンソンのギタリスト)率いるグラハム・セントラル・ステーションのシンガーとしてバンドに参加。
全米ツアー/ワールド・ツアーに参加、92年には来日公演も実現し、mimiの名で凱旋した。
これと前後して、エディ・マーフィーのバンド(サイケデリック・ソウル)のメンバーに参加、
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行われたエディー初ライブをサポートする。

その後、ブラザースブラザース ジョンソン、Always Thereのヒットで知られるサイド・エフェクトのメンバーとして、LAを中心に活躍している。


1999年・「ジョイ ラブ ハピネス」をリリース。
2001年・セルフタイトル「mimi」をリリース。
2002年・全カバーアルバム「エレメンツ」をリリース。
2007年・「アティチュード」をリリース。

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