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久しぶりのグラディスナイト♪

アメリカのTVで「Dancing with the stars」という
番組があるんですが、この番組は「アメリカンアイドル」
と並ぶ大~~~人気なんです。

mimi51.jpg

色々な分野のスター達が、プロのダンサーとチームに
なり華麗なダンスを披露するという番組で、毎週2組が
落されていく真剣勝負の戦いなんです(笑)

今週はファイナルで、12週に渡り戦ってきたスター達が
全員集合!
2週間前に落とされた「グラディスナイト」も出演し、
ダンスを披露しました。

mimi52.jpg

そして最終発表の前に、スペシャルプレゼントで
「グラディスナイト」が「追憶」を唄いました♪
その唄声を聴いて昔の事を思い出しました!!!

昔、グッチ祐三・ウガンダ達と一緒に組んでいたバンド
「スリーチアーズ」を始めた時、ボーカルが3人いたので
当時ヒットしていた「グラディスナイト&ピップス」を
完全コピーしようと決めたんです。

そしてなんと「グラディスナイト」の日本公演があった時、
私達が前座することが決まったんです。
しかし同じ曲をするのはどうか?ということになり、
「グラディス」の曲は演奏しませんでした。

自分達の演奏が終わり、彼らのステージを観ていて
「グラディス」が「追憶」を唄った時、唄の上手さに
涙がポロポロ出てきて、、、
その上ミラーボールがホール中にグルグル回り、まるで
夢の世界に入り込んだような強烈な打撃を受けました。

そしてこのコンサートが終わった後、みんなが無口になり、、
「今後グラディスナイトの曲は絶対やらない!」と
メンバー全員で誓いました(笑)

今考えると笑い話ですが、20代初めの私達には
衝撃の出来事だったんですよー!
ほんと仲がいいバンドでした♪

mimi53.jpg

先日「ドナ・サマー」が亡くなり、私の時代の
レジェンド達が次々消えてしまうけど
私の頭の中では何時までも最高のシンガー達です♪
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プロフィール

big soul sista' MIMI

Author:big soul sista' MIMI
本名、宮本典子。
パフォーマーとしての本格的なデビューは赤坂にあった伝説のディスコ、「MUGEN」でのこと。
ただし、シンガーとしてではなく。当時は「ゴー・ゴー・ガール」と呼ばれたダンサーとして、である。
mimiはMUGENでのティナ タナーのステージに魅了されシンガーになる。数年後、日本人だけのソウル グループ「スリー チアーズ」を結成、
ヴォーカルにグッチ祐三、ドラムにはウガンダ、7ピースによるバンドは、MUGEN、米軍キャンプ、ディスコを中心に活動する。
その後、ジャズ・フュージョン・シンガーとしてジャズシーンにデビュー。鈴木勲とのコラボレートのアルバムも製作した。
後、スタジオワークを経て、歌謡界にデビュー、「エピローグ」、「ラスト・トレイン」をヒットさせるが
3年後、芸能界を辞め、ライブ中心の音楽活動に切り替えた。

90年、渡米を決意。 自分の歌を、パフォーマーとしての絶対的な力量で評価されるアメリカで試そうとしたからだ。
知り合ったグロリア・ジョーンズの元を訪れ、西海岸を活動の拠点としてキャリアを一から積み直し始める。
91年にミシシッピ・マスクワイアのソリストとして活動。
その後、リユニオンをプランしていたラリー・グラハム(元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストでチョッパー・ベースのパイオニア)、
ジョージ ジョンソン(ブラザース ジョンソンのギタリスト)率いるグラハム・セントラル・ステーションのシンガーとしてバンドに参加。
全米ツアー/ワールド・ツアーに参加、92年には来日公演も実現し、mimiの名で凱旋した。
これと前後して、エディ・マーフィーのバンド(サイケデリック・ソウル)のメンバーに参加、
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行われたエディー初ライブをサポートする。

その後、ブラザースブラザース ジョンソン、Always Thereのヒットで知られるサイド・エフェクトのメンバーとして、LAを中心に活躍している。


1999年・「ジョイ ラブ ハピネス」をリリース。
2001年・セルフタイトル「mimi」をリリース。
2002年・全カバーアルバム「エレメンツ」をリリース。
2007年・「アティチュード」をリリース。

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