スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

本田さん&宮古

1ヵ月位前の新聞に、震災にあった岩手県宮古市で
ジャズピアニストだった故・本田竹広が愛したピアノ、
「ベーゼンドルファー」が水に浸かったが奇跡的に
修復された!との記事を読みました。
持ち主は本田さんの大ファンでライブハウスの
オーナーさんだそうです。

1miyako2.jpg

本田さんは私が尊敬する大好きなピアニストの一人!
熱いピアノを弾くハートフルなミュージシャンでした。

その昔、一緒にソウルバンドをやっていて、派手な衣装&
派手な音でプレイしてました!
アンコールはいつもピアノ&ヴォーカルのデュオ曲の
オリジナルゴスペル「On God Side」で、本田さんの音が
力強く私の唄をバックアップしてくれて、私も思わず
エキサイトする曲だったんですよ。

たまにコードを間違えるんですが、余りにも正々堂々と
間違えるので聴いてる人は誰ひとり気が付かなかったかも
知れません(笑)

その頃、宮古出身の本田さんを中心に
「宮古ジャズフェスティバル」を開催した事があります。
宮古国立公園内でのフェスティバルで、町を上げての
イベントだったんです。
私はなんと司会進行役のお手伝いも務めてました。

ステージの後ろには「浄土ヶ浜」が見えて綺麗だった~~、
懐かしいな!

あの綺麗な浜が震災に遭って被害を受けたなんて可愛想、、、、
宮古頑張れ!!!!
mimiみやこ

ピアノを修復したライブハウスのオーナーさん&私も、
心にはいつも熱い本田さんのピアノの音が生きています。
ありがとう本田さん♪





スポンサーサイト

「歯、、、痛かった」

何十年ぶりかに歯を抜いた。。。

若い頃親知らずが横に生えていて、これを抜いた以来
の事です。

あの時は実家の近くの歯医者様に、これは御茶ノ水の
「日本医科歯科大学」に行きなさいと言われ大学病院で
治療した。

私の歯は強いらしく先生も手こずり、最後にはカナズチで
ガンガン叩かれた(笑)

やっと抜けたが、その後横の歯との間に空間が出来てしまい、
そこにバイ菌などが入り込んでしまいました。
遂に横の歯も駄目になり、抜く羽目になったという訳です。。。
(フゥ~~~)

ところで、
アメリカ人は歯に関してとても気を遣う人種で、
とも角、歯並び&歯がキレイが親の育て方・人格さえ
決めてしまうほどの威力があります。

日本人は昔「八重歯が可愛い!」など言っていましたが
アメリカでは考えられない事です。

幸いにも私は、
歯が出てる割には(笑)歯並びが良いので助かります!

そんなアメリカなので、今回の抜歯は奥歯とはいえ
穴が空いてるままにはしません。
半年後に、今日本で問題になっている「インプラント」を
しなければ駄目なんです。

抜いた歯の穴にインプラントの為の人工の骨を作り、
半年後にインプラントを埋め込む用の処置もしました。

あれから数日経って痛さも腫れも引き、おかげさまで
良くなりました。

しかし半年後のインプラントの値段が高~~~~いので
頭が痛い私です。

皆さんも歯は大切に!!!



 | BLOG TOP | 

プロフィール

big soul sista' MIMI

Author:big soul sista' MIMI
本名、宮本典子。
パフォーマーとしての本格的なデビューは赤坂にあった伝説のディスコ、「MUGEN」でのこと。
ただし、シンガーとしてではなく。当時は「ゴー・ゴー・ガール」と呼ばれたダンサーとして、である。
mimiはMUGENでのティナ タナーのステージに魅了されシンガーになる。数年後、日本人だけのソウル グループ「スリー チアーズ」を結成、
ヴォーカルにグッチ祐三、ドラムにはウガンダ、7ピースによるバンドは、MUGEN、米軍キャンプ、ディスコを中心に活動する。
その後、ジャズ・フュージョン・シンガーとしてジャズシーンにデビュー。鈴木勲とのコラボレートのアルバムも製作した。
後、スタジオワークを経て、歌謡界にデビュー、「エピローグ」、「ラスト・トレイン」をヒットさせるが
3年後、芸能界を辞め、ライブ中心の音楽活動に切り替えた。

90年、渡米を決意。 自分の歌を、パフォーマーとしての絶対的な力量で評価されるアメリカで試そうとしたからだ。
知り合ったグロリア・ジョーンズの元を訪れ、西海岸を活動の拠点としてキャリアを一から積み直し始める。
91年にミシシッピ・マスクワイアのソリストとして活動。
その後、リユニオンをプランしていたラリー・グラハム(元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストでチョッパー・ベースのパイオニア)、
ジョージ ジョンソン(ブラザース ジョンソンのギタリスト)率いるグラハム・セントラル・ステーションのシンガーとしてバンドに参加。
全米ツアー/ワールド・ツアーに参加、92年には来日公演も実現し、mimiの名で凱旋した。
これと前後して、エディ・マーフィーのバンド(サイケデリック・ソウル)のメンバーに参加、
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行われたエディー初ライブをサポートする。

その後、ブラザースブラザース ジョンソン、Always Thereのヒットで知られるサイド・エフェクトのメンバーとして、LAを中心に活躍している。


1999年・「ジョイ ラブ ハピネス」をリリース。
2001年・セルフタイトル「mimi」をリリース。
2002年・全カバーアルバム「エレメンツ」をリリース。
2007年・「アティチュード」をリリース。

最新記事

リンク

最新コメント

月別アーカイブ

TOTAL VISITS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。