スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Graham Central Station

皆さーん!
何人もの方から、9月ビルボードライブ東京での
「グラハム セントラル ステーション」に私がメンバーとして
来日するのか?と聞かれました。
ありがとうございます。

mimi0715.jpg

mimi0715s.jpg

しかし残念ながら参加はしないのです。
それで、mimiのブログでは真相を話します!
なーんて深刻じゃないけど正式発表!

半年位前にラリーから、
「ビルボードライブの話があるのだけど、mimiも来てくれないか?」
と電話がありました。
話を聞いてみると、私が1992年に初めて日本公演した時の
オリジナルメンバーではなく、ラリーの仲間って感じのバンドだったんです。
今はミネアポリスの“プリンス”の家の近所に住んでいるので、
練習の事もあり身近なメンバーにしたんだと思います。

勿論、1992年に一緒の行ったドラムの“ゲイロード・バーチ”は
癌のために亡くなってしまったので、全てオリジナルメンバーとは
いかないのですが、「あれっ?」って感じでした。
しかも、もう一人女性シンガーがいるんだって!
それって嫌じゃないですか?
「私で不足ですか???」って感じでしょ!

こんな事もあり、、他にも色々あり。。。
で、お断りしました(笑)

gcs022.jpg

私の中での“GCS”は、やはりこのメンバーでないと寂しいぃです。。。
わがままな私です。

こんな事を話しておきながら言うのはおかしいですが、
ラリーは素晴らしいベーシストなんで時間があったら観に行って
楽しんで下さいね♪

From my heart☆mimi
スポンサーサイト

ワールドカップ

「サッカー好きか?」って聞かれたら、
「全然興味なし!」って答えてた私ですが、
日本がベスト16に入って「見直した!」って事が
大きな要因でのあるけど、サッカーが結構好きになった!!
負けてしまって残念だったけど良い試合だった。

私の住んでるL.Aでは午前10時から試合が始まったんですが、
日本では夜中の2時にも関わらず凄い応援だったとニュースで
やってました。
あんなに日本中が一つになるなんて素晴らしい!
皆様、夜中の応援お疲れ様でした。

サッカーはアメリカではあまり人気の無いスポーツだけど、
ワールドカップが開催されてから公園などでサッカーをしている
子供たちが目につくようになりました。
ほとんどはメキシカンの子供だったけどね(笑)

しかし私の大好きな相撲は(意外でしょ?)最近は問題ばかりで
困った事です。。。
夏場所は開催されることになったけど、相撲離れしちゃう人が
多くなるかもですね?。

実は、私が応援してた力士も「野球賭博」してたんですよ。
“親孝行で良い子だ!”なんてアナウンスしてたから
ずーっと応援してたのに何てことでしょうプンプンッ
でもお相撲が始まるのを楽しみにしている私です♪

スポーツ万歳

 | BLOG TOP | 

プロフィール

big soul sista' MIMI

Author:big soul sista' MIMI
本名、宮本典子。
パフォーマーとしての本格的なデビューは赤坂にあった伝説のディスコ、「MUGEN」でのこと。
ただし、シンガーとしてではなく。当時は「ゴー・ゴー・ガール」と呼ばれたダンサーとして、である。
mimiはMUGENでのティナ タナーのステージに魅了されシンガーになる。数年後、日本人だけのソウル グループ「スリー チアーズ」を結成、
ヴォーカルにグッチ祐三、ドラムにはウガンダ、7ピースによるバンドは、MUGEN、米軍キャンプ、ディスコを中心に活動する。
その後、ジャズ・フュージョン・シンガーとしてジャズシーンにデビュー。鈴木勲とのコラボレートのアルバムも製作した。
後、スタジオワークを経て、歌謡界にデビュー、「エピローグ」、「ラスト・トレイン」をヒットさせるが
3年後、芸能界を辞め、ライブ中心の音楽活動に切り替えた。

90年、渡米を決意。 自分の歌を、パフォーマーとしての絶対的な力量で評価されるアメリカで試そうとしたからだ。
知り合ったグロリア・ジョーンズの元を訪れ、西海岸を活動の拠点としてキャリアを一から積み直し始める。
91年にミシシッピ・マスクワイアのソリストとして活動。
その後、リユニオンをプランしていたラリー・グラハム(元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストでチョッパー・ベースのパイオニア)、
ジョージ ジョンソン(ブラザース ジョンソンのギタリスト)率いるグラハム・セントラル・ステーションのシンガーとしてバンドに参加。
全米ツアー/ワールド・ツアーに参加、92年には来日公演も実現し、mimiの名で凱旋した。
これと前後して、エディ・マーフィーのバンド(サイケデリック・ソウル)のメンバーに参加、
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行われたエディー初ライブをサポートする。

その後、ブラザースブラザース ジョンソン、Always Thereのヒットで知られるサイド・エフェクトのメンバーとして、LAを中心に活躍している。


1999年・「ジョイ ラブ ハピネス」をリリース。
2001年・セルフタイトル「mimi」をリリース。
2002年・全カバーアルバム「エレメンツ」をリリース。
2007年・「アティチュード」をリリース。

最新記事

リンク

最新コメント

月別アーカイブ

TOTAL VISITS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。