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今日はペットの自慢話です!

私は子供の頃から、母の影響か猫が好きです。
ミーちゃん、チャムちゃん、ティナティナニャー。
アメリカにも一緒に来て、23年生き抜いたプー輔(本名プリンス)。

そして今いるのはアメリカ生まれ、4才のハナ!
ハナは私の歌を聴くのが大好きなんです。
3年前、友達のジャズピアニスト「本田 竹広」が
亡くなった時、悲しくて悲しくてゴスペルチックな
歌が頭に浮かんできて歌ってたんです。
結構いいフレーズだったので、録音しておこうとスイッチON!
そして最後のフレーズを歌った時、な・なんと!
ハナが一緒に歌ってきたんです!
こんな調子、「I Lost にゃ?Myにゃ?Friend Againにゃ?
そのタイミングのいいオブリガード!天才!
勿論、これは録音してあります。
世界初、歌う猫!!!聞きたいでしょ?
いつか、私のCDの最後に、このデュオを入れたいと思ってます(笑)
その時までお楽しみに☆

mimiねこ

そしてもう一人(笑)
ハナより4ヵ月年下のコルギー犬、タロー!
実はタロー、去年テレビデビュ?したんです。
それは海外に住む日本人の為のNHKテレビが
放送されてるんですが、その番組内で「顔」に
関する写真付き俳句を募集してたんです。
そこで傑作なタローの写真があったので
俳句付きで応募したところ、見事採用
それでは、これを発表します。

僕タロー、ビーチの帰り、ひと眠り
Copy+of+Taro+Beach蟶ー繧垣convert_20090124222424

親ばかmimiです、笑ってくださ?い!












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the NAMM show

L.Aでは年に一回、「ナム ショー」が行われます。
これは世界中の楽器屋さん&スタジオ機材屋さんが
集まって、新しい商品を発表する場所なんですよ。

ナム



そして毎日、有名ミュージシャンのライブがあるんです。
昨夜はバ?ナルド・パディ?のライブゲストで
サイド・エフェクトが歌いました

サイドエフェクト
ライブ

バーナルド・パティ?は70年代、アレサ・フランクリンの
アルバムを始め、殆んどのソウルアルバムのドラムとして
大活躍した伝説のドラマーです。
今の音楽はドラムの打ち込みが中心で、ハートビートの
ドラムを叩ける人は数少なくなりました。
そんな中、彼は今も健在です!!!
彼のバンドのゲストで歌えた事は、ソウルの歴史の中に
入れた気持で感動の瞬間でした。

mimi.jpg
バーナルド・パティ?とサイド・エフェクトのメンバーです




















今日は打ち合わせ!

1/13

「サイドエフェクト」のオギ?・ジョンソン(写真左)&
プロデュ?サ?のレジ?・アレン(写真右)と
「Roscoe's」で会いました。
今度レジ?が出版する「黄金のコーラスグループ」の
打ち合わせです。

 オギー&レジー

さて、この「Roscoe's」は黒人の中では凄?く有名な、
チキン&ワッフルのレストランなんです。
黒人ミュージシャンや映画スターも
ここのレストランによく食べに来ます。
私の友達の息子は「スヌープが来るかもしれないから
行きた?い!」なんて言うほど有名です。
私にとって、味はたいした事ないと思うんだけどなぁ?(笑)

Roscoo 1
Roscoo 2








big soul sista' mimi

How Are You?

My Sista DJ HIYOCOがプロデュースする
“BLACK JUICE”のホームページ内に
私、mimiのブログを始めました。

仕事の話も勿論ですが、L.Aでのファッションなども
紹介します。

楽しいブログにしたいと思いますので
気軽にコメントくださいね!!

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プロフィール

big soul sista' MIMI

Author:big soul sista' MIMI
本名、宮本典子。
パフォーマーとしての本格的なデビューは赤坂にあった伝説のディスコ、「MUGEN」でのこと。
ただし、シンガーとしてではなく。当時は「ゴー・ゴー・ガール」と呼ばれたダンサーとして、である。
mimiはMUGENでのティナ タナーのステージに魅了されシンガーになる。数年後、日本人だけのソウル グループ「スリー チアーズ」を結成、
ヴォーカルにグッチ祐三、ドラムにはウガンダ、7ピースによるバンドは、MUGEN、米軍キャンプ、ディスコを中心に活動する。
その後、ジャズ・フュージョン・シンガーとしてジャズシーンにデビュー。鈴木勲とのコラボレートのアルバムも製作した。
後、スタジオワークを経て、歌謡界にデビュー、「エピローグ」、「ラスト・トレイン」をヒットさせるが
3年後、芸能界を辞め、ライブ中心の音楽活動に切り替えた。

90年、渡米を決意。 自分の歌を、パフォーマーとしての絶対的な力量で評価されるアメリカで試そうとしたからだ。
知り合ったグロリア・ジョーンズの元を訪れ、西海岸を活動の拠点としてキャリアを一から積み直し始める。
91年にミシシッピ・マスクワイアのソリストとして活動。
その後、リユニオンをプランしていたラリー・グラハム(元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストでチョッパー・ベースのパイオニア)、
ジョージ ジョンソン(ブラザース ジョンソンのギタリスト)率いるグラハム・セントラル・ステーションのシンガーとしてバンドに参加。
全米ツアー/ワールド・ツアーに参加、92年には来日公演も実現し、mimiの名で凱旋した。
これと前後して、エディ・マーフィーのバンド(サイケデリック・ソウル)のメンバーに参加、
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行われたエディー初ライブをサポートする。

その後、ブラザースブラザース ジョンソン、Always Thereのヒットで知られるサイド・エフェクトのメンバーとして、LAを中心に活躍している。


1999年・「ジョイ ラブ ハピネス」をリリース。
2001年・セルフタイトル「mimi」をリリース。
2002年・全カバーアルバム「エレメンツ」をリリース。
2007年・「アティチュード」をリリース。

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